駆けある記

3月に命を考える

こんにちは、日本共産党練馬区選出都議会議員とや英津子です。

今年はこれまで経験したことのない春を迎えました。私にとって今年の3月は特別な月として心に刻んでいます。

予算特別委員会で取り上げた平和祈念館

3月10日は「東京都平和の日」でした。東京大空襲から76年、いかにその記憶を伝え、恒久平和を実現していくかが、私たち都民に問われています。

1945年3月10日の東京大空襲のとき、民間人、非戦闘員が無差別で攻撃され、約10万人が犠牲になりました。日本政府は防空法制で「逃げるな、灯を消せ」と民間人に命じ、戦争遂行のために「空襲は怖くない、逃げる必要はない」と偽りの宣伝を繰り返しました。国がはじめた戦争で、無数の国民の命が奪われ、生活が破壊され、多数の人が心身に深い傷を負いました。「東京平和の日記念行事企画検討会」の委員をされている海老名香葉子さんは、東京大空襲で戦災孤児になりました。87歳になられた今も、ご両親や家族が、どの場所で、どのように亡くなったか知りたいと思い続けていることが最近も報道されていました。どんなに長い時間が過ぎても、忘れることはできないのです。

東京大空襲のご遺族をはじめ戦争体験者の方々は、この悲劇を絶対に繰り返さないでほしいとの願いを込め、犠牲者の遺品を含め、当時を伝える多くの資料を東京都に寄付しました。その数は約5000点に及びます。また、330人の方が協力し、戦争体験の証言ビデオも作成されています。

これらは本来、平和祈念館を建設して展示、上映される予定でしたが、22年前に建設が凍結され、ほんの一部を除いて非公開のまま庭園美術館の倉庫に眠っています。

戦争の惨禍と平和の大切さを次の世代に伝えることの大切さについて知事に答弁を求めました。そして議場の各会派に平和祈念館建設への一歩をふみだそうと呼びかけました。

東日本大震災

もう一つは10年前の3月11日、東日本大震災、福島第一原発の事故が起きました。

13日の土曜日は石神井公園で「さよなら原発」の宣伝があり参加しました。東日本大震災は自然災害であり人災です。特に原発。福島の人々は未だに故郷に帰ることができない人たちが8万人にのぼります。震災の関連死も深刻です。

菅首相は震災10年の式典で「この10年で被災地の復興は着実に進展した。復興は総仕上げの段階に入った」と言いました。どこが総仕上げなのでしょうか?このような言葉を何の躊躇いもなく公式発言する人を信頼せよと言われても絶対無理でしょう。

被害者の慰謝料請求裁判では仙台高裁が原告の要求を認めたにもかかわらず東電が上告するという無反省ぶりです。

今年は東京五輪をなにがなんでもやろうと動いている国や都ですが、東京招致の際、安倍首相は原発への懸念に対し、「完全にコントロール」できていると嘘をつきました。いまだに収束できず、汚染水の海洋放出までやろうとしている国の罪は本当に重たい。

「共感力」と「共痛」という言葉があります。後者は浜矩子氏の言葉ですが、この力が社会と政治から後退していることを危惧します。

個人的なこと

複数の方々から心配の問い合わせもいただきましたので、報告します。

先日、私の弟が死にました。アスベストによる悪性胸膜中皮腫でした。在宅で療養してもらうため準備を進めていたのに、退院の日に逝ってってしまいました。入院から2週間、あっという間でした。残された遺族としてこれから裁判を闘います。

上記に共通しているのは、本来もっと長く生きられた命であった可能性が高いということ、避けられない死ではなかったということです。普通に暮らし生きていけた、全うできた命が奪われていることに拳が震えるのです。

 

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