こんにちは、日本共産党都議会議員とや英津子です。
上野方面で仕事があり、足をのばして「吉村昭記念文学館」そして国立近代美術館に行ってきました。
久しぶりに乗る都電荒川線、「さくらトラム」が嬉しく、きょろきょろ。
文学館は「ゆいの森あらかわ」という区立図書館と、こどもひろばが入る施設に併設されていました。無料で入場できる施設ですが、すいていてゆっくり静かに館内を歩くことができました。
10/13~12/18の期間で企画展「海も暮れきる」ー俳人、尾崎放哉を見つめてーが開催中です。
常設展示のフロアでは、生い立ちから文学の原点、歴史小説や舞台になった日本の地名の地図などが展示されています。吉村昭が影響を受けた作家は、森鴎外や志賀直哉、川端康成、梶井基次郎がおり、中村八朗、臼井吉見、佐藤春夫、高見順らが作品を評価しています。
戦争を題材にした作品で歴史を描いているのですが、そのゾーンには「戦争を描くと言うことー人間の持つおどろくほどの順応性ーそれが戦争から得た私の悲しい発見であり、その先天的な機能の不気味さを知る上で戦争はかけがえのない恰好な機会であった」と書かれた展示がありました。
私は、吉村昭の小説はそれほど多くは知らないのですが、「東京の戦争」という作品を読んだことがあります。その中に、母親が亡くなり、那須で病気療養中の吉村のもとに電報が届き、電車で東京に帰る途中のことが描かれています。乗車券を手に入れるのも困難な時代、気持ちを奮い立たせて駅長に母親が死んだので帰りたいと電報を見せて頼んだ時、その駅長が上野駅までの切符を渡してくれたと。駅長の人情味ある好意に胸が熱くなり涙ぐんだ、忘れないと本人は言っているのですが、これを読んだ私も胸が熱くなり涙ぐんだ覚えがあります。
先週出席した東京都平和記念館建設19周年を思い出しました。
書斎の椅子は誰でも座ることができ、机には原稿用紙とえんぴつ。作家になったつもりで何か書いたらどうかというような張り紙を見つけ、私も2行ほど書いてきました。
企画展の尾崎放哉のコーナーでは、俳優の橋爪功が吉村昭を「本当に温かい」人柄だったと偲び、「言葉の端々まで聞き惚れてしまう、取り込まれてしまうような」存在だと話しています。
生きることと死ぬことをテーマに書き続けてきた吉村昭の作品を、もっと読みたくなっています。
文学館を出て。古くて懐かしいようなまちなみを眺め、知らないまちを歩く楽しみも味わいながら町屋駅へ。
家にあった文庫本の短編集「星への旅」を電車の中で読みながら、国立近代美術館に向かいました。
つづく。
千葉県袖ヶ浦市には、「吉村昭文学資料館」もあります。駒場にある日本近代文学館の下部組織「全国文学館協議会」認定の文学館です。昨年夏の開館記念イベントには、市長も来賓され祝辞を述べられました。「吉村昭研究会」という民間団体(と言うか、桑原文明が個人で)が運営している、「日本一小さな文学館」です。津村節子氏、吉村司氏(津村・吉村氏、長男)も来館されています。