駆けある記

林芙美子記念館へ

こんにちは、日本共産党練馬区選出都議会議員とや英津子です。

先月、新宿区の中井駅付近に行く用事があり、帰りに「新宿区立林芙美子記念館」に寄りました。

林芙美子は戦争中、従軍記者として戦地の様子を伝え、戦意高揚に協力した人です。一方、京都橘大学野村幸一郎教授によれば、「彼女の主眼は戦争を肯定し称賛するところにあったのではなく、戦場の兵士たちが見せる友愛の情に接した喜びを表現するところにあった」として、そう単純ではないという評価もあります。

「放浪記」など大人気となった小説を書いていますが、私が興味を持ったのは林芙美子の家です。窓口で入館料を払い、わくわくしながら足を踏み入れました。

終の棲家となった新宿区の住まいが記念館となっていましたが、家の中には入ることはできず、外からながめるだけ。アトリエだけは展示室になっていて見学できました。しかし庭のどこからもたいていの部屋を見ることができ、風通しの良さそうな平屋建てで、細部にこだわったことがわかりました。住んでからたった10年間の暮らしではもったいない素敵な家でした。

アトリエにはビデオがあり、芙美子の半生が放映されていました。帰ってから他の資料も読んでみると、尾道時代は貧しく、口に糊するために小説を書いたといわれている人で、小説が売れても貧しき人々への思いは忘れなかったようです。

私は作品も読んだことはなく、どんな人なのかも知りませんでしたが、記念館を訪れたことで小説や人物にも興味がわいてきました。

伊藤千代子と同年代でした

一昨日は、治安維持法下で主権在民、女性の参政権、貧富の格差をなくしていきたいと社会変革のために必死に生きた女性、伊藤千代子の映画「わが青春つきるとも」を観ました。伊藤千代子は1905年生まれ。林芙美子は1903年、小林多喜二と同じ年に生まれています。記念館見学と映画鑑賞で、同じ時代に生きた人たちがそれぞれ選んだ道に思いを馳せています。

 

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