駆けある記

被爆者練馬の会50周年記念誌「未来へ」

こんにちは、日本共産党都議会議員とや英津子です。

練馬区の賀詞交換会が豊島園で開催されました。町会、商店街などの各種団体や個人が全区から集まっての新年会です。夜は町会の新年会などに出席しました。こうした会に出席すると地元の人たちから意見や要望をいただきます。東京都への要望は窓口になって届け、また地元に返す。少しでも役に立てればと思います。

さて、今日は賀詞交換会で被爆者練馬の会の綿平会長と役員の方にお会いし新年のご挨拶。帰宅して昨年の暮れに送られてきた被爆者練馬の会の50周年記念誌が途中まで読んでそのままになっていましたので、本日読了しました。

表紙は湯川秀樹博士の短歌と妻スミさんの原爆ドームの絵です。シンプルでとてもいい表紙です。記念誌に挟まれていた挨拶文には、「未来へ」と題したのは将来に期待をしているからと書かれています。この言葉はとても重たいもので、私たちとその後に続く世代の責任を感じます。

区議の時、被爆者練馬の会のみなさんとは毎年懇談をさせていただいており、その際に被爆体験を聞いてきました。その度に胸が苦しくなるような被爆体験を聞き、涙を流していたのを思い出します。この記念誌に掲載されている方々の体験記は全て練馬区在住の方なので読んでいて顔が浮かぶ方もいます。それだけに突き刺さるように迫ってくるものがあります。

原爆が落とされた当時は幼く1才、2才でほとんど記憶にはない方々が、母親や父親、兄弟などから聞いた話が掲載されています。息子さんが当事者である母親から聞いた話を載せている方も。その中で母親が命を賭して守ってくれたこと、だから今の自分があり生かされていると語る方は、今、孫のひたむきなまなざしに背中を押されて被爆者練馬の会の手伝いをしているそうです。

「誰が壊したの?」

原爆ドームを見上げて問う孫に

しかと伝えん核の非道を…

どの方も被爆の実相を伝えることが自分の使命のように思っており、愚かな戦争は二度としてはいけない。核戦争は二度としないで欲しいと語り、その思いの強さが伝わってきます。

この記念誌を、安倍首相とトランプ大統領こそ読むべきだと言いたい。

平和が一歩近づいたと思ったら、また逆戻りの情勢ですが、原爆で命を奪われ、家族も失い、生きることの苦しみをも持ち続けてきた被爆者の活動を無駄にしてはならないと胸に刻んでいます。

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