駆けある記

平和祈念館建設を求めて20年

こんにちは、日本共産党都議会議員とや英津子です。

今日は平和祈念館の建設を進める会の第21回総会でした。

毎日新聞記者の栗原俊雄氏の講演「敗戦から75年ー戦後政治・戦後政府の戦争責任を考える」と

題してに聞き入りました。

熱い講演でした。毎日新聞のメール配信ニュース「常夏通信」を更新中。

常夏報道を続ける最大の理由は、75年前の戦争は終わったと考えられているが、あの戦争は未完であると。そして、戦争を起こした大日本帝国の為政者たちの責任を継承し、被害者である国民にまっとうな補償をおこなうべき戦後の日本政府が、その責任を果たしていない。それゆえに「戦後」75年が過ぎた今も、戦争被害に苦しみ、国に補償を求めて闘っている

被害者や遺族たちがいる。と、「未完の戦争」を考えたいと講演されました。熱のこもった話は胸を打ちました。

栗原氏は、国の強制で家を追われ、家族を奪われた人々への補償は当然であると言います。そして受忍論、非常事態のもとで起きた身体や財産の被害は国民はみな我慢すべきという考え方が、民間人のみに押しつけられてきたものであることについて、なんでこんな簡単なことが分からないのかと断じます。また、日本の裁判の限界について、最高裁が(補償について)憲法に書いていないからと3年もかけて探してどうするのかと怒ります。

沖縄戦で、傷ついた母親を目の前で見ながら置いて離れた幼い頃の記憶がよみがえることを語り、こういう人たちを見捨てていいのかと語りました。こうした経験をしてきた人たちは晩発性のPTSDに苦しんでいるそうです。

今でも苦しんでいる人に思いを寄せることができない政府に憤りを感じ、栗原記者の講演に共感した総会でした。

日本の裁判への批判とともに立法化を目指す取り組みの紹介もありました。

わたしからは、平和祈念館建設を求めている皆さんに挨拶させていただきました。要旨は以下の通り。

東京空襲犠牲者を悼み「東京都平和祈念館」建設を20周年のつどいにあたり、ごあいさつ申し上げます。

都民平和アピールでは「平和は、何物にもまさって全ての基礎をなす条件です。日本国憲法が基本理念とする恒久平和は、私たち全ての願いであり、人類共通の目標です。私たちは、軍縮と核兵器の廃絶を機会あるごとに強く訴え、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓います。日々の生活において、平和を脅かす問題に、毅然として立ち向かい、忍耐強く取り組むことを誓います」と述べています。

時代を逆行させる動きと平和を願う行動の綱引きはいたるところで行われ、都民・国民の力強い動きは都民平和アピールと重なります。

最近では、菅政権の学術会議会員の任命拒否問題があります。学問・思想への介入から、国民の思想統制が行われ、侵略戦争が進められました。この痛苦の歴史の反省を忘れてはならないと多くの国民が声をあげています。

日本は唯一の戦争被爆国にもかかわらず核兵器禁止条約を批准していませんが、いよいよ来年一月に発効します。世界中の平和を願ううねり、核兵器なくせの声は後戻りしません。

私たち都議団は、平和と民主主義を願う国民のみなさん、都民のみなさんとともに議会内外で平和を訴えてきました。

庭園美術館に眠っている、都民から寄贈された戦災資料5000点の展示、平和祈念館構想の具体化など、今日お集まりの皆様の悲願である、平和祈念館建設や平和祈念式典の拡充などについてもとりあげてきたところです。今年は、記念行事については残念ながらコロナ感染の広がりで中止になりましたが、あらためて行うよう求めています。

こうした中、新しい動きがありました。

11月の決算特別委員会総括質疑におきまして、立憲民主党の西沢都議が平和祈念館の整備を求めました。西沢議員は、自分たちの前身の会派では猛烈に凍結を主張した議員(土屋氏)がいたということもわざわざ述べ、立場を変えたことを表明しました。皆様が20年間、運動をつづけて戦争の歴史を繰り返してはならないと訴えてこられたからこその変化です。超党派で平和祈念館建設の動きをつくりたいと話しているところです。

戦争体験者の平均年齢は80歳を超えており、進まないことに歯がゆさも感じている方も少なくないと思います。一日も早く、戦争の悲惨さ平和の尊さを伝えられる平和祈念館を建設できるよう力をつくすことをお約束しまして挨拶とさせていただきます。

以上です。

 

 

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