こんにちは、日本共産党(練馬区選出)都議会議員とや英津子です。
8月6日は、広島に原爆が落とされ9日には長崎にも落とされました。その年の年末までに20万人以上の命が奪われました。
【命の灯ともるうちに】
NHKスペシャルでは、原爆投下の記録を放映していました。戦争で多くのアメリカの若者の命が奪われ疲弊し、これ以上犠牲を出さないために原爆を投下したと。無謀な戦争に国民を駆り立てたのは日本もアメリカも同じです。
原爆投下から75年。生き残っている人たちは、年々少なくなります。私がいつもおじゃまする被爆者練馬の会の総会では今年、具合の悪い人もいて少し寂しかったのを覚えています。それでも核兵器廃絶に向けた運動はとまりません。核兵器禁止条約はあと10カ国が批准すれば発効します。一日も早く発効させたいと思うばかりです。
被爆者が命あるうちに、核廃絶をさせなければなりません。
【祖母との思い出】
私は戦争を知らない年代であり、広島や長崎の原爆の話は教科書の中でしか学んだことがありませんでした。一緒に暮らしていた祖母からいつも聞かされていたのは東京での戦争の話でした。敗戦の年、祖母は40歳前後。94才まで生きた人ですが、7人の子どもを育て上げるまで苦労したと言います。私に話すとき「焼け出された」という表現をよく使い、戦争と火事は一体のもので、住んでいた家を追われたことが本当に怖くて悔しかったようです。戦争では自分の兄を二人亡くしていますが、仏壇に置かれた戒名を小学生だった私に誇らしげに見せ、立派に死んでいったようなことを話している時は違和感を感じたのを覚えています。自分の肉親を戦争でとられ無駄死にして悲しいわけがありません。くり返し聞かされた話は学生の頃に、広島・長崎の原爆投下の話とつながり、それが日本共産党を知るきっかけにもなりました。
いま、私には二人の孫がいます。10月にはもう一人生まれます。社会の宝である子どもたちに平和な未来を残そう。忘れてはならない75年前に思いをはせた一日でした。
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