駆けある記

「韓国の性売買禁止法とその周辺」を学んで②

こんにちは、日本共産党練馬区選出都議会議員とや英津子です。

今日は日本が戦争に負けて今日は76年目です。新型コロナの収束はまだ遠く、今年も式典も最小限で行われるようです。

選挙後に学ぶ機会があった性売買の問題は、日本の起こした侵略戦争ぬきには考えられないものです。終戦の日にあたり、平和と同時に考えたいと思い、二回目を書きました。

日本と朝鮮半島は太古の昔から交流はありましたが、侵略の歴史でみると日清、日露、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と60年以上です。そのうち植民地支配は36年間にもわたるもので、この期間に日本軍は朝鮮の人々から民族の誇りも言葉も名前も奪ってきたのです。

古橋綾氏の学習会は、その中で行われた従軍慰安婦制度に結びつく公娼制の移植、基地村といった観光資源としての性売買ついても考える機会となりました。日本でも行われている性搾取や性暴力を考え根絶していく力にしたいと思います。

公娼制度廃止から「淪落行為防止法」制定まで

1948年 公娼制廃止令

日本は植民地支配をした台湾と朝鮮に公娼制を持ち込みました。それまで台湾にも朝鮮にも公娼制はありませんでした。日本の娼妓の許可年齢は18歳、台湾は16歳、朝鮮は17歳だったそうです。

日中戦争で多くの朝鮮人娼妓が台湾から中国の戦地の「慰安所」に送り込まれました。性暴力を受けた「慰安婦」の尊厳回復はいまだにされていません。

日本の軍事支配が終わり、公娼制は米軍によって廃止されました。これで朝鮮は民族の手に戻りましたが、ここで終わりにはならず茨の道を歩むことになったのが朝鮮戦争でした。

1950年~53年 朝鮮戦争がおき、南朝鮮を分割統治していた米軍基地周辺の性売買が盛んに行われるようになる。

1961年 淪落行為防止法

★日本の売春防止法に類似する法律―性売買を全面的に禁止するも、その責任は売った女性にあるとする。

1962年 取り締まりをしない特定地域104カ所を指定(米軍基地周辺32カ所、性売買集結地46カ所など)

拘束力が著しく限定され売春行為は解放後からも黙認されてきました。

★在韓米軍兵士向けの性売買が許可されていたのが「基地村」と呼ばれる。ここで暮らしてきた人たちの多くは今でも生活保護を受給しながら厳しい生活を強いられています。(李娜榮(韓国・中央大学教授)氏 「性暴力被害を聴く」より)

その後、70年代にはキーセン観光が発展することになります。

戦争が終わっても続いてきた性売買は、法律では禁止しながら政策的に黙認されてきた歴史をもち、人権蹂躙が手を変え品を変え女性に対して行われてきました。儒教の国であり家父長制のもとで女性の地位は著しく低く、過酷な環境のもとで生きてきた女性たちがそれでも立ち上がり、地道に活動を続けてきたことに対し尊敬しかありません。

つづく

【雑感】

小田急線の事件は、明らかなフェミサイドであるとして全国でフラワーでもが行われました。

女性というだけで命が脅かされる社会になってしまったのか…。報道を読み怒りより先に怖さがよぎりました。多くの人が韓国の「江南駅事件」を想起し、被害者は自分だったかもしれないと思ったのではないでしょうか。

オリンピックアーチェリーで三冠王となった韓国女性選手に対しても、SNSやコミュニティサイト上では、「アン・サンの金メダルをはく奪せよ」といった誹謗中傷が相次ぎました。韓国ではミソジニストによるショートカットヘアを理由に誹謗中傷を浴びせ、言いがかりのような「フェミニスト狩り」は日常茶飯事となっているとの報道も目にしました。

性別にかかわらず自由に安全に生きることができる社会が急がれます。

先週、滑って転んでしりもちをつき、左肘で支えたらひどい打撲。お尻も腰も痛みは全く腕だけが痛むので、レントゲンで診てもらいました。骨折はしていないことを確認しましたが、腕全体が紫色になりみっともない状態が続いています。早く直したいものです。

 

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