駆けある記

津田青楓展覧会にて

こんにちは、日本共産党都議会議員とや英津子です。

本日のコロナ感染者89名。昨日に引き続き、一日の感染者数は三桁に近い数です。コロナ疲れの方が増加し、やり場のない怒りや不信感が広がり心配になります。そんな中、今日も都民の声を集めて要望書を練り上げる作業をしました。

さて、先日は地元練馬区の中村橋での仕事の途中、練馬区立美術館へ立ち寄りました。コロナ自粛もあり善し悪しは別として美術館は閑散としており、ゆっくり観覧することができました。

今は、「津田青楓生誕140周年記念展」を開催中です。土日は臨時休館、平日のみですが12日まで。

まず、練馬区立美術館の展示が良かった。多くの人に見てもらいたい企画展です。

津田青楓は、1880年に京都で生まれた画家です。図案制作から始め、日本画を描きます。また安井曾太郎とともにフランスに渡り洋画や刺繍を学びます。また夏目漱石に絵を教えた画家でもあり著名な作家の本の装丁も手がけています。

展示にあった、夏目漱石による津田清楓の人物像を読むと、まっすぐに愚直に生きてきたことがわかります。また夏目漱石未完の「明暗」の自筆原稿が桐箱と一緒に展示されており、門下生によって宝のように保管されていたことが分かります。亡くなった私の友人が夏目漱石の研究をしていたのを思いだし、少しの間見入っていました。

夏目漱石はじめ鈴木三重吉、与謝野晶子、新村出、内田百聞などの本の装幀をしています。見ていて本当に飽きず、こんな本なら生涯大事にしているだろうと思うようなものばかりでした。いまどきこのような書籍はほとんどないでしょう。

津田青楓は、20才の時に徴兵され5年間、一心に絵を学ぶ時期を奪われました。展示室には1932年に婦人雑誌から届いた「世界からなくしたいもの」というアンケートに「戦争」と答えていたことが書かれていました。

その後洋画を本場で学ぶためにフランスに留学し、帰国すると二科会を設立し自分たちの手で展覧会を開催。自分の塾もつくっています。

そして、河上肇との出会いがあります。

二階の展示室の入り口には「社会派の画家」とあります。特高警察に拷問で殺されたプロレタリア文学作家である小林多喜二の死を悼み、俳優の千田是也、国木田独歩の次男である彫刻家佐土哲二により石膏でデスマスクが作られますが、津田青楓はその石膏像をもとにブロンズ像を作成します。また、大月源二が描いた山本宣治の告別式の絵もあり、時代を感じる作品が多くかけられています。

この当時、荒れ狂う海から波が岩に打ちつけるさまを描いた「怒濤」「海浜飛沫」という作品がありますが、当時の作家の内面を現している旨の説明文がありました。この時特高警察に拘留され転向を余儀なくされます。

その後の作品は西洋画の筆を折ったため日本画のみを描いています。一人の人間の生き方をここまで変えた戦争、そしてそれがはっきりと作品に現れていることに驚きました。

これらの作品が四つの展示室に分かれて展示されており、津田清楓の生きてきた道をたどることができとても感慨深いものがありました。

この日の展覧会は、青楓の作品や人物、夏目漱石、さらに良寛を追って様々な作品が展示されていました。作品を通してこれらの作家や人物にも改めて興味が沸くような豊かな展示でありました。

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

PAGE TOP