駆けある記

アメリカからきた母の日

こんにちは、日本共産党練馬区選出都議会議員とや英津子です。

わが家のクレマチスが満開

今日は五月に第二日曜日、誰もが知っている母の日です。

仕事を終えて帰ると、娘が手作りの料理を持って子どもを連れて遊びに来ました。今日は三人の母が勢揃いでした。孫からみれば娘は母、娘にとって私は母、私の母の三人です。久しぶりに孫と遊び、女三人で話に花が咲きました。

母の日の由来をインターネットで調べてみました。すると日本の母の日はアメリカから伝わった風習とあります。1905年にアメリカの「アンナ・ジャービス」という少女が母親の死をきっかけに生きている母親に感謝の気持ちを伝える機会を設けようと呼びかけたのがきっかけだと。赤いカーネーションを送る風習も。

日本では、大日本連合婦人会が結成され昭和の初め頃から皇后誕生日(3月6日)を母の日としていたようですが、普及せず。1937年、5月8日に第一回「森永母の日大会」が練馬の豊島園で開催され、1949年頃からアメリカにならって5月第二日曜日に行われるようになったとあります。

こうして歴史を見ると、戦後の日本は農業、食料、保険などなどアメリカの影響があらゆる分野に広がっている。そして私たちはほとんど疑問も感じることなく日々を送っています。

さらに驚くのは花屋にはかなり前からカーネーションやギフトも店舗に並んでいたことです。毎年〇〇の日商戦が早く激しくなっているような気がします。

母に対して日頃の感謝の気持ちを表すことは大事だと思うし、私のことでいえば82歳の母親に対し特別な日があるからこそ自分の気持ちを表すことができます。しかし、なにか違和感を感じています。

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