駆けある記

Nさんを訪ねて

 Nさんは私が議員になって以来お世話になってきた79歳の女性です。2年前から有料老人ホームに入所しており、施設を訪ねました。
 ご家族からは、認知症の症状はお聞きしていましたので、もしかしたら覚えていないかもしれないと不安をかかえながらの訪問でした。施設のオープンスペースである食堂兼レクリエーションルームのようなところで、テーブルを前に小さなからだを椅子につつまれるように座っている姿を見て、2年間でかなりやせられていることに驚きました。
 「Nさん、とやです。とや英津子です。覚えてる?」と聞くと、「とやさん?本当に? 覚えてるわよー」とうれしそうに微笑んでくれ、胸が熱くなりました。
 2年前、Nさんの様子がすこしづつ変わっていくのをなんとなく感じ、周囲の方からも聞き、やがて夫のAさんが仕事に出かける間、一人で過ごすことができなくなり入所となりました。
 この間、ご家族は本当に大変な思いをしながらNさんを支え、愛して慈しんでこられていることを様々な場面で直面してきました。
 この日も、「とやさん、今日お父さんがきてくれてね、くつ下をはかせてくれたのよ、やさしいでしょ。あなたもはかせてもらいなさい。」などとうれしそうに話し、施設では梅干しは1こしかくれないなどと不満も言いながら、時間がすぎていきました。娘さんも来ていて3人でおやつをいただき、これまでの私の知らなかったNさんの苦労を娘さんが話してくれました。
 Nさんは家族に愛され、週に何度も入れ替わり家族や親戚が訪れ幸せだと思いますが、当人はどのように思っているのでしょうか。
 認知症は、物忘れがひどい、責めても開き直っている、人にいいがかりをつけているなど思われたりなど周囲が気がつかないうちに進行していることも多いといいます。
 治る病気ではないけれど、「かかわる周囲の者が認知症を生き、老い、病を得、そして死に至る自然の過程の一つとして見ることができれば、周辺症状は必ず治まり、当人は認知症という難病をかかえても生き生きと暮らせるようになるはずである。」と種智院大学教授であった小澤勲氏が述べているとおり、Nさんも当初あった症状は今は改善し、ゆっくりと暮らしています。
 自分が自分でなくなることに等しい状況がやがて訪れることをどう考えればいいのか。Nさんを見ていて考えさせられた日となりました。 

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