駆けある記

敗戦記念日に「従軍慰安婦」問題を考える

こんにちは、日本共産党練馬区選出都議会議員とや英津子です。

今日は、敗戦記念日です。日本がアジア・太平洋戦争に敗北しポツダム宣言を受諾、天皇が玉音放送を行った日です。アジア諸国で2000万人、日本国民も310万人が犠牲になりました。毎年巡ってくるこの日、8月は6日、9日とともにかつての戦争について考える日。戦争体験者、被爆者の体験を聞く機会も少なくなった今日、多くの人たちに日本が起こした戦争について、植民地支配について考えていただきたいと思います。

今日は池袋駅西口で小池晃書記局長、小山農民青同盟中央委員長とともに街頭から訴えました。

私は日本の侵略戦争がアジアの人々にもたらした被害について、特に「従軍慰安婦」問題の解決を強く望んでいること。そして、祖母から聞いた戦争体験。さらに東京から平和の発信をすることの重要性を訴えました。

西口では、治安維持法犠牲者国家賠償同盟のみなさんが、宣伝をしており、練馬区議団から島田拓区議も参加しておりました。

 

終了後、その足で西早稲田のWam(アクティブミュージアム)「女たちの戦争と平和資料館」へ。

現在、特別展「朝鮮人『慰安婦』の声をきく~日本の植民地支配に責任を果たすために」を開催中です。日本の朝鮮植民地支配をジェンダーの視点からみる特別展です。展示は、証言を残した朝鮮人「慰安婦」179人証言が一人ひとり、写真とともに展示されています。地図上には「慰安婦」が連行された連行地、連行先が分かるようになっています。年表には、日本のアジア侵略、独立運動と弾圧などが明確にされています。

戦後75年たっても「癒えない傷」というのはこのこと。胸がつぶれそうになる、痛くなるような思いで「慰安婦」たちの証言を読み進めました。

慰安所は日本人の女性も連行されましたが、たてまえは21才以上。朝鮮人女性は10代の女性が多く、13才で連れていかれた人もいます。だまされた人、むりやり連れて行かれた人、連行の仕方は様々ですが、女性を陵辱し尊厳を奪う。一日に数十人の兵士の相手をさせられ、病気になり捨てられる。日本の女性の名前をつけられ監禁され、ろくな食事も与えられなかった人たち。その彼女たちが勇気を振り絞って声を上げ、語っているのです。

過去をなかったことにしたり、正当化したり、嘘をついてきた歴代政府に怒りがこみ上げるとともに、今を生きる私たちの責任を感じています。この問題を真に解決してこそ、日本はアジアの人たちから隣人として認めてもらえる。ジェンダー平等といえる社会が訪れるのではないかと思うのです。

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