駆けある記

「東京都平和記念館(仮)」建設を!19周年ー平和と希望のバトンを

こんにちは、日本共産党都議会議員とや英津子です。

短期間に多くのことが押し寄せ、切り替えが下手な自分を情け無く思う毎日です。

今日はとしま区民センターで、東京空襲犠牲者を悼み「東京都平和記念館(仮称)建設を!」19周年のつどいが行われ、来賓としてうかがいました。

第一部のトーク集会では、

東海林次男(東京都歴史教育者協議会会長)氏の講演「軍事都市東京」と東京空襲。

東京の中心部がいかに軍事施設で固められていたか、古地図を示して報告されました。そして空襲はこうした施設をほぼ狙い撃ちして行われたということです。その犠牲になったのが10万人にもおよぶ東京都民でした。この記憶を忘れてはいけないと犠牲者遺族のみなさんが19年間も運動を続けています。

古地図が好きな私は見入ってしまいました。

空襲の記録を後世に伝えるため、東京都は予算までつけて準備をしていたところ、99年に一部の都議会議員によって妨害が入り、「都議会の合意を得た上で」という決議をあげられ、以降凍結したままになっています。生きているうちに建設をと訴える人々の声が胸に響いてきました。

空襲被害者の築山実さんの、体験談は75年経っているとは思えないほど実感がこもるものでした。

そしてトークの最後は、白神優理子弁護士。

高校生平和ゼミナールで学んだという白神さんは、それまで物事をあきらめる、自分をあきらめる人間だったし、歴史の表面しか見ないため何をやっても変わらないと思ってきたそうです。ところが、戦争体験者の話を聞いて変わった、こんな思いを若い人たちに経験させたくないという体験者の話に認識が変わっていったといいます。

歴史は過ちをくり返すものだと思ってきたが、人間の歴史は過ちをくり返すのではなく、学び前に進むのだと思えるようになったと語りました。

戦争体験者や沖縄の話も聞き、天皇のために目の前で自分の父親を日本軍に殺された人の話も聞きくなど平和について学ぶ中で、憲法に出会ったそうです。

それまでは、憲法は大人の世界の校則みたいなものだと思ってきたが、実は正反対で私を守る物だと気がつく。

憲法を学び、自分の力を信じ人間を信じることができるようになった白神さんは、弁護士になろうと夢が決まる。

さらにすごいのが、子どもの平和像を建立するため高校生が1000万円集めたということです。

私たちは歴史のリレーランナーであり、平和のバトン、希望のバトンを持って生きていく、倒れたら次の人にバトンを渡すと語る白神さんがとてもまぶしく、希望そのものに見えました。

白神弁護士のブックレットを購入し名刺交換をすると、私の挨拶を聞いて希望が持てたと話してくれました。

 

 

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