駆けある記

核兵器禁止条約が発効しました!

こんにちは、日本共産党練馬区選出都議会議員とや英津子です。

22日、核兵器禁止条約が発効しました。核兵器をなくしたいと願う世界中の人々の喜びの声が聞こえてくるようです。

そして国連は新たにカンボジアが批准したと発表し、これで批准した国と地域は52になりました。

日本は唯一の戦争被爆国ですが、この条約を批准しておらず、歴代の政権は広島と長崎を知らないのかと言いたくなります。

私は15年以上前になりますが、広島と長崎をそれぞれ機会があり訪ねました。

長崎では原水爆禁止世界大会への参加でした。大会の成功のために市をあげて支援していることにまず感動しました。期間中には長崎のまちを歩き、被爆の跡がのこる場所をたずね、原爆が落ちた瞬間思いをはせたことを思い出します。命をとした人、助かった人、助かっても家族をすべて失った人たち、76年たっても苦しんでいる人々がいます。たくさんの折り鶴が平和への願いと重なりました。

広島では、仕事を終えて一人で原爆ドームに向かったのを覚えています。この建物をこのまま残しておく意味をドームを目の前にして改めて胸に刻み帰ってきました。

広島と長崎にはどちらも平和祈念館があります。原爆の記憶を後世に伝え核のない世界をつくるための重要な施設です。

東京にも平和記念館を

しかし東京には平和記念館がありません。5000点ににものぼる戦災資料は倉庫に眠ったままです。祈念館を建設することは遺族の方々と関係者、都民の悲願であるにもかかわらず未だに建設されていません。

東京では広島、長崎に原爆が落とされる前の三月十日、東京大空襲がありました。10万人が一夜で命を奪われ焼け野原になっています。それまでは高いところから軍事施設を狙う爆撃が中心だったそうですが、東京大空襲以降、夜間に低高度からの焼夷弾を投下して民間地域も焼き尽くす「じゅうたん爆撃」へと転換しています。この当時日本政府は民間人に「逃げるな灯を消せ」と罰則つきで強制し、地下鉄も閉鎖したといいます。東京への爆撃は国際法に違反しています。そしてこの時以降無差別にアメリカ軍が民間人無差別に殺し、広島と長崎への原爆投下へとつながっていったのです。

日本軍も中国やアジアの人々を虐殺しています。戦争だったからではすまされる問題ではありません。

過去の過ちに正面から向き合い、今なお苦しむ当事者や遺族の声に真剣に耳を傾けなければなりません。

昨日は核兵器禁止条約発効に喜び、悲惨な戦争を二度を起こさない、核兵器のない世界をつくるために頑張ろうと一人誓いました。

二枚の写真は2019年、練馬美術館で行われた平和美術展の作品です。

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