駆けある記

いまだからこそ平和祈念館の建設を

こんにちは、日本共産党都議会議員とや英津子です。

都議会第一回定例会が3/25に終わりました。

一年で一番長くて追われるような毎日の議会でした。しかし、たくさんの都民の願いが実り、やりがいのある議会でもありました。

練馬では区長・区議補欠選挙がまもなく始まりますが、少しずつ都議会論戦を報告します。

今回は、宇都宮健児さん代表で文教委員会に付託された「平和祈念館の建設を求める陳情」の審議について。

この日は、朝からみぞれまじりの天気で、議会も早く終わりにするため協力を求められていました。それでも、都民の切実な願いが込められた大事な陳情が多く付託されていました。これらの陳情は一項目ずつ審査すべきなのですが、不十分で申し訳ないと思っています。

平和祈念館については、質問したのは私一人。東京大空襲から77年、幼い頃に空襲を体験した人たちも亡くなっている方も多い中、悲願である平和祈念館への思いがこもった陳情です。私が平和祈念館について質疑するのはこれで3度目です。

今回は、過去の都議会での付帯決議の問題もあわせて取り上げました。

沖縄、広島、長崎などにはある平和記念館や資料館が東京にはありません。しかし、戦争末期、東京は一日で10万人と言われる人々が空襲で亡くなりました。生き残った戦災孤児といわれるこどもたちも、食べるものも、雨風をしのぐ場所もなく捨てられた子も多いと聞いています。こうした歴史を正面からとらえ、二度と戦争は起こしてはならないと誓うことは、いまどれほど大事なことかと思います。

東京都は過去、東京に平和記念館をつくろうと設計図も作成し、場所も横網町公園内と決めていたにもかかわらず、都議会で展示物の内容について合意を得ることができず、今日まで23年間凍結されたままです。

論点は大きくわけて二つ。

1,毎年行われる平和記念式典と東京大空襲についての東京都広報のあつかい。

2,都議会付帯決議を受けた都の対応について。

式典と広報について

広報について聞きました。

都は平和の日記念式典については、2月と3月の年2回広報東京都に掲載しています。また、記念式典をはじめとする記念行事の広報内容については、東京都平和の日記念行事企画検討委員会の意見を聞きながら都として決定していると答えます。

広報東京都を拝見しました。確かに2回掲載されているのですが、私が危惧するのはこの記載がどんどん小さくなっていったことです。過去の広報を見ました。例えば、平成8年、10年、11年と三月一日は必ず一面を使って大きく広報していました。ところが、だんだん扱いが小さくなってしまっています。一面に記事があったときは東京空襲のこと平和への願いがよく分かります。なぜ平和の日と定めたのか、記載もされているのです。 なぜこんなに小さな扱いにしてしまったのでしょうか。ご遺族の方々、戦争体験者の方々からすれば東京都は本当にやる気があるのだろうか。そんな疑問がわいてくるような掲載です。

いま、平和記念式典はコロナで式典を縮小せざるを得ない状況が続いています。やむを得ないところもありますが、それ以前に問題が山積みです。東京都では、式典の企画検討委員会は、公開で行われ傍聴者も募ってきました。しかし、それは2016年からです。その前の15年間は開催されていません。

書面でといいますが、都民の声は反映されません。もっと都民を呼んで欲しい、語り部をやって欲しい、委員をふやして欲しいなどたくさんの要望がありますが、ほぼ聞いてきませんでした。

この背景には、故石原慎太郎氏が知事になって以来の動きがあることは明らかです。都議会の保守勢力の動きとあいまって、後退を余儀なくされたというのが実態ではないかと思います。

せめて平和の日は、遺族の方をはじめ、多くの人々が平和について考え、若者も共有できる日として式典をはじめ、様々な取り組みを開催して欲しいと思います。そのため、広く都民を募り、検討委員会委員の増員を求めました。

都の答弁は、「東京都平和の日記念行事については、ここ数年、企画内容が定着し、参加者・来場者からも多くの賛意が得られていることから、委員の増員は行っていない」というとても冷たい答弁です。重ねて委員の増員と広く都民の声を聞くこと、各区市町村の庁舎に垂れ幕なども必要、海老名加代子さんなども呼んで語り部も行うよう求めました。

都議会付帯決議について

平和祈念館構想がストップして23年。幼い頃空襲にあった人たち、遺族のみなさんからは何度も要請がきています。建設にストップをかけたのが、都議会の付帯決議です。決めた議会も責任は重いです。

平成11年3月に平成11年度東京都一般会計予算に付された付帯決議の内容は、

平和祈念館(仮称)については次の事項に配慮すること。

(1)平和祈念館の建設に当たっては、都の厳しい財政状況と従来の経過を十分踏まえ、展示内容のうち、いまだ議論の不十分な事実については、今後さらに検討を加え、都議会の合意を得た上で実施すること。

(2)東京空襲犠牲者追悼碑の早期建立に取り組むこと。

(3)東京空襲犠牲者名簿の収集、作成を平成十一年度の早期に開始することの3点だった。

三点の決議内容のうち、追悼碑の建立、犠牲者名簿の収集は少しづつ進んでいます。問題は一番ですが、展示内容のうちいまだ議論の不十分な事実については今後さらに検討を加え、都議会の合意を得たうえで実施とあります。つまり、内容の合意が必要だということです。では、都立の平和祈念館を建設するために、展示内容については誰が提案したのか。それは東京都です。

都が策定して、その内容が議論されて合意が取れなかったと。そうであるなら当然、東京都が内容について都議会に提案すべきでしょう。しかし、たたき台も一度も議会に提案はありません。

東京都の答弁は、常に「東京都平和祈念館(仮称)の建設については、平成9年から11年にかけて、当時の都議会において、展示内容などをめぐり議論がなされ、展示内容に係る歴史認識や見解に相違があった。そして、大方の合意が得られずに、付帯決議がなされたと理解しており、その重みを十分認識。したがって、改めて都議会での一定の審議と合意がなされなければ、対応は難しいと考えているところ」これしか答えません。

都議会、東京都双方が都民に責任をもって平和祈念館の建設への一歩を踏み出すときです。

空襲時、東京の下町は二時間半で焼き尽くされたとも言われています。この記憶を後世に伝えるのは私たちの責任です。ロシアによるウクライナへの侵略が激化する中で、益々その思いを強くしています。

【雑感】

3/9は弟の一周忌でした。昨年のこの時期、私はやはり予算特別委員会の委員として質問に立っていました。質問は3/12で、東京大空襲の問題をとりあげました。今年の予算特別委員会の質疑登壇は8日。平和問題は大山団長が3/22に取り上げ、私も手伝いました。

ロシアが核兵器まで使うと言い出している今日。武力で平和はつくれない、核兵器は一発のこらず世界からなくしていくべきと強く思います。練馬の被爆者の方々も運動をしています。みなさん、ロシアの蛮行をみてどんな思いでいるでしょうか。胸が締め付けられるような気持ちではないか。命の尊さ、重さを考える三月でした。

添付のニュースは、被爆者練馬の会の綿平会長の投稿。東友会の会報「東友」に掲載されたものです。22年1月号。

 

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