駆けある記

被災地福島へー原発村レポート

 4月4日、5日の2日間、被災地福島へ行ってきました。
 前日までの悪天候がうそのような快晴でした。
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 まず長年原発問題で運動をしてきたエキスパート、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也氏を訪ねました。伊東氏は、原発事故以前から福島原発の危険性を訴え続けてきた方で市議会・県議会と合わせて8期議会でも働いてきた方です。
 事故後は私たちのような現地調査団に対し、案内役を務めながらご自身のライフワークである障害者の作業所の運営や、医療生協の理事長としても活躍されています。
 車に同乗していただき、常磐自動車道の広野インターから第一原発前線基地である「Jビレッジ」(福島第一原発の7・8号基増設を急ぐために東電が130億円寄付してできたサッカー練習場)へ案内していただきました。
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 警備員が「何しに来たんだ」「撮影禁止、止まらないで」などと叫びながら私たちを追い払います。
 次に向かったのが、しんぶん「赤旗」にも掲載された宝鏡寺本堂前(住職の早川篤雄さんは原発問題福島県民連絡会の代表として長年、原発問題に取り組む。事故直後の12日朝、14人の障害者を同行して伊東さん宅へ避難)へ。
 事故が起きる前は、畑を耕し庭木のよく手入れされた寺だったそうですが、荒れ放題となっています。
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常磐線竜田駅。
 そして誰もいなくなったとはこのことか、と駅周辺を見て愕然としました。
 2年間時が止まり、家々には人っ子ひとりいません。
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 たまに作業員の人が公衆トイレを利用するのみ。驚いたのは、その作業員さんたちの姿。
 除染作業をしているのですが、普通の作業服にヘルメット、うすいマスクのみ。
 この時、私たちの持ち込んだ線量計は4マイクロシーベルト。車の中では警報ベルが鳴りっぱなし。
 富岡町にも行きました。
 つい先日まで警戒区域に指定され入ることもできなかった町です。町長が許可したので警戒区域が解かれましたが、ところによっては8マイクロシーベルトを記録。
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 これでは元の暮らしはできません。
 もちろん人はいないし、道路を隔てれば帰還困難区域です。
 この地域では、道路一本ちがうだけで補償が違い住民同士の対立にもつながっていると聞きました。
 こうした現実を目の当たりにして、事故収束宣言をする政府に心から憤りを感じています。

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